守山区の寺
区内には64の各種宗教法人が『宗教法人名簿』に登録されていて以下仏教系寺院28ヶ寺を記載。
『宗教法人名簿 愛知県県民文化局県民生活部学事振興課 2022年(令和4)12月31日現在』より。

寛文村々覚書(寛文年間/1670年頃に編纂された尾張藩の地誌)に記載のある寺院
瀬古・幸心地区 石山寺・常雲寺
守山地区 宝勝寺・龍雲寺(廃寺/宝勝寺に合祀)・白山寺(白山神社の神宮寺/廃寺)
見性寺(廃寺)誓願寺長母寺(現名古屋市東区へ編入)
金屋・大永寺地区 寿昌(松)院大永寺 
大森垣外地区 円福寺(現利海寺)桂星寺(廃寺)
小幡地区 浄土院長慶寺
大森地区 大森寺正法寺(現法輪寺)
吉根地区 龍泉寺観音寺
上志段味地区 久岑寺

瀬古・守山地区   
西天山 妙行院
石山寺
天台宗 瀬古東一
鎌倉時代寛元年間(1243~47)西大寺の僧道円上人により創建。境内観音堂の十一面観音は近江石山寺(いしやまでら)の如意輪観音と同木といわれ、近江石山寺と混同しないよう同寺は「いしやまじ」と呼ぶ習わしがある。尾張二代藩主徳川光友が荒廃していた寺を1676年(延宝4)に再建。1891年(明治24)の濃尾地震で多くの堂宇が倒壊、翌年再建。1945年(昭和20)の空襲で本堂・観音堂・山門を残し客殿・庫裏が焼失。
※石山寺の頁参照

松栄山 常雲寺
曹洞宗 幸心一
大永寺二十二世性国端道和尚の開山といい創建は江戸時代に溯るが詳細は不明。境内には庚申堂が祀られ、この堂の草創は寺より古いという。幸心の地名はこの「庚申堂」に由来という説がある。1891年(明治24)の濃尾大地震で倒壊、二年後に再建された。新しい山門は「薬医門形式」。墓地入り口の子安地蔵は安産に霊験があるといわれ信仰を集めていた。


玉峯山 宝勝寺
曹洞宗 市場四
室町時代後期、1535年(天文4)12月5日、守山崩れで亡くなった松平清康の菩提を弔うため1637年(寛永14)大永寺七世大渓良澤和尚により守山城跡南旧大手門辺りに自らを開山とし建立した。大渓良澤は小幡城主といわれる岡田与九郎重頼の一族。1929年(昭和4)、瀬戸電気鐡道・宝勝寺住職・龍泉寺住職が発起人として龍泉寺鉄道敷設予定であった沿線に七福神の札所「蓬莱七福神」の霊場開設に尽力した。同寺には毘沙門天が祀られている。
※宝勝寺の頁参照

岡島山 誓願寺
浄土宗 町北四

開基は1699年(元禄12)武田信玄の甥、逞誉祖的上人といわれ、その後尾張藩家老竹腰家の家臣岡島宗感が宝暦年間(1750年代)に再興。寺宝として江戸時代に制作された釈迦涅槃図がある。1891年(明治24)濃尾地震で倒壊。1937年(昭和12)に再建。山門は1959年(昭和34)現名古屋市千種区城山の尾張初代藩主徳川義直公の生母、お亀の方を祀った相応寺の側門を譲り受けたもの。境内には多くの児童書を収蔵した「無量文庫」があり、「右ハやま 左ハくろ川」と刻まれた出所不明の道標がある。また終戦間際地区に撃墜されたB29の搭乗員が一時埋葬された。
※守山点描「その2」誓願寺参照

庚申寺
曹洞宗 町北三
旧稲富山(江戸時代稲富流砲術家稲富平左衛門の知行地)西端付近にあり、現在堂宇はなく駐車場となっており歴代住職の墓標(無縫塔)のみが立っている。昭和に入り門前の瀬戸街道が改修され平坦化されたが現在の境内の高さが旧瀬戸街道の高さに概ね相当する。
 

大永寺・金屋地区
   
寿昌山 大永寺
曹洞宗 
大永寺町

創建は1197年(建久8)山田次郎重忠が死んだ父山田太郎重満(当地一帯山田郡山田庄を領した)の菩提を弔うため小幡に建てた天台宗「寿昌院」を基とし(異説あり)のち曹洞宗となる。1584年(天正12)小牧長久手の戦にて焼失。1617年(元和3)岡田将監善同が名古屋城縄張り奉行を務め、尾張初代藩主義直公より現在地を拝領。同地は小幡村の支村、宮司(地)村といったが同寺に因み大永寺村と改称した。当時は末寺12ケ寺を有する大寺院であった。
※大永寺の頁参照

齢亀山 寿松院
臨済宗東福寺派
金屋二

創建は江戸時代元禄年間(1688~1704)長母寺の雪渓恵恭禅師大和尚が隠居寺として開山したと口伝される。1891年(明治24)の濃尾地震で倒壊、明治29年に再建。同寺は各地を放浪しその名勝や民俗を記録し、また多くの絵画を残した放浪の画家「蓑虫山人」ゆかりの寺。山人はその後、漸東寺・長母寺(共に名古屋市東区)に逗留終の棲家となった。開山については宝永年間(1704~1711)の説などある。
※寿松院の頁参照

廿軒家・東山・長栄地区
   
利見院 浄土宗 西新15
以前は一般家屋の玄関に「浄土宗利見院」と標札があるのみで寺院としての活動は見られない(現在は取り壊されている)。2017年(平成29)名古屋市西区平出町より法人登録変更。和進館保育園・老人施設豊生苑など名古屋市西区・守山区で運営する「社会福祉法人和進奉仕会」の関連か?

慈尊山 霊明寺
曹洞宗 東山町1

繁華な瀬戸街道沿いにあり、古くは宝勝寺の受持ち。1835年(天保6)岡田三郎の創建と伝わる。「社会福祉法人慈尊会」として同所に「若葉保育園」、区内四軒家に「ひなた保育園」を運営している。

本光山 長栄寺
日蓮宗

紫雲山 長栄寺

真宗大谷派
長栄18

本来同地にあった
本光山長栄寺は1648年(慶安元)創建。成瀬正親の母栄寿院殿の菩提所であったが1705年(宝永2)禅寺町下(現名古屋市中区)に換地となり廃寺となったというが異説などあり詳細は不明。
紫雲山長栄寺は1919年(大正8/大正13年説あり)頃に同寺跡に開設された真宗大谷派の布教所が基。のち地名に因み1965年(昭和40)紫雲山長栄寺となったが、本光山長栄寺とは無関係の寺であり、現在南に接する墓地入口右側に御経塚、題目塔、開山日啓大和尚碑があるが、現長栄寺とは関係ない墓苑である。
※守山点描「その1」長栄寺参照
松蔭庵 
如来教 長栄3
如来教は江戸時代、1802年(享和2)に尾張愛知郡熱田の農夫長四郎の三女きのが神懸かりを受け道を説いた「御経様・266巻」が経典となっており、本尊は釈迦牟尼仏。戦後1962年(昭和37)宗教法人如来教となった。現在の本部は名古屋市熱田区旗屋の登和山青大悲寺。同庵は如来経の守山道場。同所他にも市内に数ヶ所の修行所がある。本堂は明治期に建てられたもの。1986年(昭和61)、一帯0.6haが名古屋市緑地保全地区に指定された。


大屋敷・白沢・高島・西城・地区
     
一乗山 浄土院
浄土宗 大屋敷
開山は蓮誉順貴上人。創建年は不明だが、寺伝によれば15世紀には有ったと思われる。当初は尾張藩菩提寺建中寺の隠居寺として建てられた。本堂左奧の水子地蔵堂前に尾張五代目藩主徳川五郎太(真厳院)様ゆかりの燈籠がある。1891年(明治24)の濃尾地震で倒壊、翌年に再建された。
※徳川五郎太:四代藩主吉通が急死したため三歳で五代目となるが二か月後に死去、未元服のため諱はない。
学校法人児玉学園として、同所に「守山幼稚園、」区内喜多山地区に「喜多山幼稚園」を運営している。
※守山点描「その2」浄土院参照

医王山 長命寺
臨済宗東福寺派
白沢町
元は北西に200m程の川嶋神社辺りにあった天台宗の寺。1584年(天正12)小牧長久手の戦にて焼失そのおり本尊薬師如来は水野内蔵助久重宅(川村南城主、水野内蔵助右京之進)へ飛んで避難したという故事に因み「溝飛びの薬師」といい、水野内蔵助久重が翌1585年(天正13)に高畑に一時「薬師堂」を建て安置、その後現在地へと移転した。1700年(元禄13)長母寺中興雪渓恵恭禅師を迎え中興開山とした。本堂裏に川村南城主、水野内蔵助右京之進の碑がある。境内寿老殿まえの線香立てには玄鹿(げんろく)が彫られていて、蓬莱七福神の寿老人を祀る。
※守山点描「その3」長命寺参照

安休山 利海寺
(旧円福寺)

臨済宗妙心寺派
西城一

開山は室町末期、元亀年中(1570~1573年)名古屋白林寺の正雲和尚が大森垣外村に明鏡山圓福寺を建てた事に始まる。しかし大森垣外村辺りは低湿地でしばしば水害に見舞われたため高台のこの地に移転。1754年(宝暦4、異説あり)尾張藩の重鎮、兼松小次郎春政が父母の冥福を祈るためこの地に移し、父の法名「明鏡院真心安休居士」母の法名「圓福院徳水利海大姉」より利海寺と改め、大須門前町総見寺八世霖翁和尚を中興開山とした。

蓬莱七福神の布袋尊を祀る。

弘法寺
(旧東寺名古屋別院)

真言宗東寺派 大字小幡字北山2758番ノ8
昭和4年頃瀬戸電気鉄道により一帯は翠松園高級住宅地と拓かれ東寺名古屋別院も建設されたが昭和金融不況などあり完成に至らず、昭和30年代中頃には廃寺となった。寺には蓬莱七福神の布袋尊、尾張三弘法の一つが祀られる予定であったが、同寺ゆかりの弘法寺に引き継がれ現在は利海寺に祀られている。同寺は旧住所、写真のみで現状は所在・活動等不明。

平和山 念佛寺
真宗大谷派
高島町

小幡緑地西園の西方、住宅街にある寺院。 

小幡・大森地区
栄松山 長慶寺
臨済宗東福寺派
小幡中二

江戸時代中頃に著わされた『尾州府志』には承久の乱で朝廷方として京で戦った山田次郎重忠が山田庄に父・母・兄の菩提のために、長父・長母・長兄三寺を建立したとある。また山田一族二十世の孫山田正修が記した寺伝『山田世譜』には重忠の孫、山田正親が1244年(寛元2)に没した兄兼継を追悼するため、鎌倉時代建長年間(1249~56)に南山士雲を開山として創建したとあり二つの創建由来がある。
1584年(天正12)小牧長久手の戦にて焼失。境内の南山士雲の墓標無縫塔は愛知県指定文化財になっている。
蓬莱七福神の大黒天を祀る。
※長慶寺の頁参

城趾山 阿彌陀寺
真宗大谷派 西城2
昭和30年代に開かれた比較的新しい寺。小幡城三の丸跡付近に建てられている。参道に室町時代、足利八代将軍義政の同朋衆の一人として、絵画、華道、香道、庭造りと才を発揮した相阿彌真相を祖とした相阿彌十七世家元碑がある。
※守山点描「その4」阿彌陀寺参照
興旧山 歓喜院
大森寺
浄土宗 弁天が丘
1634年(寛永11)に逝去した尾張二代藩主徳川光友公の生母歓喜院(乾の方・お尉の方)の墓所。1637年(寛永14)江戸小石川伝通院に葬られたが、その後1661年(寛文元)生地大森の同地に遷座された。荘厳な伽藍は1875年(明治8)の火災にて焼失。再建後1891年(明治24)の濃尾地震により大破。2015年(平成27)開創350周年を迎え創建当時と同じ配置に再建され、尾張徳川家二十二代御当主徳川義崇公御臨席のもと厳粛に落慶法要が行われた。尾張徳川家と徳川一門で構成する尾州御寺の五寺の一つ。

※大森寺の頁参照
仏日山 法輪寺
曹洞宗 大森3
元は南東へ1km余り、元郷地区に860年(貞観2)大森城主尾関勘八郎が天台宗の尼寺「正宗庵」として創建。1394年(応永元)兵火により焼失。その後瀬戸市赤津の雲興寺七世住職大雲永瑞により再建され、曹洞宗に改め普香山正法寺と改号。
1584年(天正12)小牧長久手の戦にて再び焼失するが再建され寺号を佛日山法輪寺と改号した。境内に源平合戦のおり戦死した佐藤兄弟とその母の宝篋印塔が祀られている。また母乙和御前が寺が荒廃した時再興のため、黄金千枚を埋蔵した旨の書き付けが残されている。
蓬莱七福神の福禄寿を祀る。
※法輪寺の頁参照

龍泉寺・吉根地区・志段味・八竜
 
松洞山 大行院
龍泉寺
天台宗 竜泉寺一
延暦年間(782~806)伝教大師最澄が創建したといわれ、また弘法大師(空海)が熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したとも伝わる。
1584年(天正12)小牧・長久手の戦いのおり豊臣秀吉はここに陣をしき、小幡城の家康と対峙、その退却時寺に火を放ち焼失。1598年(慶長3)醫王山密蔵院(愛知県春日井)二十九世秀純和尚が再興。1906年(明治39)2月放火により本堂焼失。その後1911年(明治44)に再建されその時焼け跡から慶長小判98枚、大判切2枚の入った壺が発見され再建資金の一部とした。寺院裏手には1556年(弘治2)、織田信行が築いたといわれる龍泉寺城があり、現在は宝物館として模擬城がある。楼門・木造地蔵菩薩立像は国重要文化財。他には円空作の馬頭観音、木っ端仏多数(500体弱)がある。
蓬莱七福神の満願の寺。

※龍泉寺の頁参照



大本山 倶利加羅不動寺
强巴林(チャンバリン) 本山修験宗 青葉台一
倶利加羅不動寺は倶利迦羅不動明王を本尊として、境内に修業のための滝行などできる霊場をもつ。境内に建立された强巴林(チャンバリン)は伽藍不動寺住職がラサ(チベット)のチベット仏教総本山大昭寺で修行。チベット仏教で初の外国人女性受戒者となり同寺の協力を得て日本初唯一の本格的チベット寺院を2005年(平成17)3月に建立され、入口にマニ車、堂内には極彩色の仏画や資料が展示され爽やかなお香の香りと共に心休まる空間となっている。
長松山 久岑寺
曹洞宗 上志段味道光
元々は瀬戸雲興寺(愛知県)住職の隠居寺として東谷山々麓、現在の愛知県立大学看護学部付近に建てられた寺であったが一時荒廃、1600年(慶長5)頃、三代目海覚慈船和尚の尽力により庄内川近くに移転し再興されたが、1767年(明和4)の大雨では庄内川が氾濫、その後も度々水害にみまわれたため昭和の初め頃にここに移転された。同寺には力持ちの僧満瑞さんの「志段味小僧」の昔話が伝わる。
※久岑寺の頁参照
興福山 観音寺
曹洞宗 
吉根二
古くは吉根字下江(現在地より450m程北西の庄内川沿いの低地)にあり、1692年(元禄5)五世廣山全益和尚により吉根越水地区に移転、のち1788年(天明8)大實紹苗和尚が法地開山として復興。その後江戸時代、大永寺四世雲山存道和尚により再興された。対岸の春日井市松河戸町巨嶽山観音寺も同様の由緒をもち両寺は兄弟寺とされる。「陶宝七福神」布袋尊天の札所。


八龍山 吉定寺
曹洞宗
大森八龍一
小幡緑地公園東方、標高90m前後、八竜湿原に隣接してあり、境内に三十三観音霊場巡りがある新しく建立された寺院。
名森山 順正寺
日蓮宗
中志段味吉田洞

境内に多目的ホール、納骨施設がある寺院霊園。また永代供養塔「久遠塔」は宗派不問の慰霊塔。

四軒家地区
   
義惠山 泰永寺
真宗大谷派
四軒家一

同地より南西へ4~500m程の三軒家交差点北付近にあったがその後現在地に移転、2009年(平成21)5月に本堂が落慶した。
 
七寶山 聖徳寺
真宗大谷派 白山三
境内に葬儀場「守山聖徳寺会館」をもつ。愛知県一宮市指定文化財聖徳寺史跡看板には「織田信長と斎藤道三の会見場所であり、現在は守山区白山の聖徳寺と天白区八事山の聖徳寺の二ヶ所に分かれている」と記されているが詳細は不明。
 
宗教法人登録なし
 
信龍寺 本門佛立宗
(建国寺別院) 青葉台503

※2009年撮影

現在地図上では信龍寺となっているが、古くは「建国寺別院」があり、近くの本門佛立宗の社会福祉法人清明福祉会が運営する老人介護施設「建国ビハーラ」の関連施設だったと思われる。現在同所建物は水道工事会社の事務所となっている。
一般社団法人 大慶寺
 聚楽山天明寺
 守山名古屋霊堂
青葉台215~218

屋内庭園型墓苑「天明寺守山名古屋霊堂」を経営。
令和四年度までは宗教法人登録があったが、令和五年度よりは宗教法人登録はなく一般社団法人となっている。


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