●守山点描 その3


▲森孝西コミュニティセンターと桜と元補道路(森孝三地内) コミセン前の道路は戦前東西に位置した旧陸軍兵器補給廠の連絡道路として拓かれた道。桜並木は1979年(昭和54)天子田小学校の分校開設(翌年森孝西小として独立)を記念して植樹された。写真左のコミュニティセンターは1983年(昭和58)開設。「陸軍兵器補給廠 守山分廠元補給廠(元補)参照」

▲金城学院大学ランドルフ記念講堂(大森二地内) 金城学院の創立者アメリカ南長老教会宣教師アニー・ランドルフの名にちなみ1889年(明治2)開設。1949年(昭和24)、キリスト教精神に基づく一貫教育の女子校となり大学が設立された。写真はその名を冠した学院の象徴的施設。(名古屋市都市景観賞受賞)

▲学校法人菊武学園 菊華高等学校(小幡5) 1962年(昭和37)2月3日、守山女子商業高等学校として開校。1992年(平成4)菊華高等学校に校名変更。総合進学コース・保育福祉コース・スポーツコース・アクトコース・情報ビジネス科と多くの学科をもつ。男女共学。

▲愛知県立緑丘高等学校※旧緑丘商業高等学校(緑ヶ丘) 1960年(昭和35)創立(守山市立東中学校の仮校舎にて開校)。2018年(平成30)商業課程を廃止し58年の歴史に幕を閉じ総合高校となった。男女共学。

▲愛知県立守山高等学校(中志段味字元屋敷) 1974年(昭和49)開校。2022年(令和4)4月単位制高校に移行。普通科情報ビジネスコース 全日制課程 男女共学。

▲学校法人名古屋国際学園(名古屋インターナショナルスクール・中志段味地内) 中部地方唯一、米国西部地域私立学校大学協会正式認可を受けた学校。プリスクール(3歳)から高等部まで全ての授業が英語で行われている。

▲志段味西小学校壁画(下志段味地内) 学区の様子を現した壁画。とても良く出来ている。

▲熊野神社奉納額(大永寺町地内) 鎮守の森の小さな神社に奉納された色彩豊な奉納額。現在は収納庫に保管されている。幕末の多くの古文書を所蔵。1617(元和3)年創建。

▲名古屋市玉野川学園(桜坂5) 1958年(昭和33)児童福祉法に基づく教護院として開設。家庭及びその他の環境上の理由などにより生活指導などを必要とする児童が入所または通所し自立を目指す児童自立支援施設。

▲上志段味-吉根 歩行者/自転車専用道路(吉根・上志段味地区) 完成時には東谷山麓まで約5km、人・自転車優先道路となる(現況は吉根より中志段味付近まで)。途中市道アンダーパスには吉根小、志段味西小、志段味東小、志段味中学の皆さんが制作したタイル壁が描かれている。

▲弘法道(通称) (小幡緑地公園本園内)
小幡緑地公園(本園)北山麓。御花弘法大師像裏から北へ下る山道。数十体の地蔵、首無し地蔵が祀られていて、通称弘法道と呼ばれている。

▲古川親水広場(村合町地内) 
かつては白沢川の支流であった古川。今では一帯には遊歩道が設けられ、山下公園南には川べりへ下る階段があり水と親しむ事ができる。

▲森孝八劔神社の注連縄(森孝三地内) 森孝地区は江戸時代中期以降より人々が住み始め「森孝新田」として拓かれた。1826年(文政9)丙戌5月26日、本村である大森村から八劔神社を勧請し、森孝八劔神社として創建された。

▲東寺名古屋別院跡の地蔵尊(翠松園三地内) かつてこの付近にあった東寺名古屋別院にあった物か。交通安全地蔵ともいわれ台石には寄付された40数名の名が彫られている。(高さ2m余、昭和11年4月建立 現薫澄正)
▲1灯点滅式信号機(西新4-7付近) 黄色と赤色の1灯だけが終日点灯して十字路で車の出会い頭事故などに注意勧告をしている。信号機全体の3%程といわれ近年は更に撤去が進み減少傾向にある。

▲小幡北消防団詰所のラッピング(竜泉寺地内) 小幡北小学校学区を管轄とする小幡北消防団。消防団詰所のラッピングシールは平成27年度守山北中学校美術部のデザイン画を元に創られた。











▲丸形ポスト(森孝三地内)
森孝西小学校に教材用として保存されていた物を再塗装し2014年(平成26)6月25日、森孝西公園東方に設置され現役に復帰した。

▲倶利伽羅不動寺(本山修験宗・吉根地内)チベット寺院(強巴林・チャンバリン) 修験宗倶利伽藍不動寺住職がラサ(チベット)のチベット仏教総本山大昭寺で修行。チベット仏教で初の外国人女性受戒者となり同寺の協力を得て日本初唯一の本格的チベット寺院を2005年(平成17)3月に建立。入口にマニ車、堂内には極彩色の仏画や資料が展示され爽やかなお香の香りと共に心休まる空間。


▲村合町の野仏(村合町地内)
奉納 施主 守山 石原某氏以外不明。

 
▲庚申寺跡(市場地内) 現在堂宇はなく駐車場となっており歴代住職の墓標(無縫塔)のみが立っている。門前の瀬戸街道はかつてこの辺りを稲富山と言い緩やかな丘となっていたが、昭和以降瀬戸街道改修により現在の平坦な道となった。同寺の境内の高さが旧瀬戸街道の路面の高さであった。
 
川村地区【川嶋神社・長命寺・餘慶の碑(撤去)】
餘慶之碑(撤去)のある白沢川余慶橋(余慶山麓)一帯は古くは川村一帯の共有地であり川嶋神社は白沢川の畔にあった。
その後1967年(昭和42)環状二号線の道路用地として名古屋市に売却され川嶋神社は現在地に移った。
また川嶋神社の地は古くは長命(明・姪)寺の跡地といわれる。

▲餘慶之碑(松坂町) 白沢川余慶橋の東、御嶽神社内にある村人(川村・二城)のために尽くした安藤忠三郎氏(旧二城村々長)の徳をたたえた頌徳碑。餘慶とは祖先の善行のおかげで、子孫がその福を授かるという古代中国占書の言葉。
※2023年(令和5)春、御嶽神社が撤去され同様「餘慶之碑」も撤去された。

▲川嶋神社(川村町) 一説には延喜式神名帳記載の古社と言われるが定かではない。鳥居脇には棒の手記念碑があり御嶽講関連の碑も多く、元は白沢(旧余慶山)付近にあった熊野宮に始まる。


▲川嶋神社手洗鉢(川村町) 本殿右の幅1m余の手水鉢。1787年(天明7)の銘を持つ。餘慶山付近にあった旧社名「熊野宮」と彫られている。

▲長命寺「蓬莱七福神 寿老尊天奉安殿」(白沢町)
古くより寿老人が祀られており、蓬莱七福神霊場巡りが作られたおり「寿老尊天」の寺となった。寿老殿まえの線香立てには玄鹿(げんろく)が彫られている。

▲長命寺「長命水」(白沢町)
1987年(昭和62)雪峰惇效和尚が境内に井戸をほり「長命水」と命名。その名から長命に通じるとおおくの参拝者が訪れた。

▲川村、前野の道標(川村町地内)
江戸時代川村中心地、小牧道と名古屋道の十字路にあった。「表-右 かち川 あしま せこ石山 左 なこや道 裏-享和元年辛酉三月」。現在は東島天王社内に移転されている。




第10師団創立記念祭(守山三地内)
基地内を一般開放して行われる秋の記念祭には観閲式、模擬訓練、装備展示、アトラクションと盛り沢山の行事が有り、マニアを始め区民の多くが参加し秋の一日を過ごし、また夏には一般参加の盆踊り大会も行われている。
 


基地及び周辺上空のドローン飛行禁止看板

司令部庁舎屋上ヘリポートを発着する自衛隊機