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●区内の白山神社 三社
「由緒」碑文 ※境内正面東 80×55cm 石製 原文は全て縦書き、漢数字
創建は慶長年間(1596〜1615年)以前としているが詳らかではない。 1872年(明治5)7月村社となり、1919年(大正8)12月18日許可をうけ字村東1505番地鎮座の神明社を翌1920年(大正9)1月5日に合祀。 字村前より稲荷社、八幡社、津島社を字村北より山神社を1878年(明治11)6月遷座。 1986年(昭和61)6月境内社の稲荷社、八幡社を本社に合祀した。 江戸時代の地誌『寛文村々覚書』大森垣外村(大森海道村、現在の村合町、村前町、西城一帯)の項に「社四ケ所 内 神明熊野 八龍 天神 山神 社内弐反弐畝 前々除 円福寺(現利海寺)・桂星寺持分」とあり、同様の地誌『尾張徇行記』大森垣外村の項にも同じ記載がある。※桂星寺は明治時代に廃寺。これら記載の神社が同地に遷座されたのであろうか。 神社東の市道が1984年(昭和59)に拡巾されることにより境内東側の一部が道路にかかり名古屋市に買収された。そのお金で社殿や社務所を建て替えている、由緒記載の通り。 大森垣外村は古くは南側の小幡丘陵上に小幡城(小幡城の頁参照)があり、その丘陵下に位置し白沢川支流(白沢川の頁参照)が幾筋と流れる荒れ地あった。 白山神社はこの低地の田の中にあり、現守山区を構成する14ヶ村中、村の石高では10番目(東隣の牛牧村は12番目、最下位は金屋坊村)でかなりの貧村であった。 またこの大森垣外村には現在南の丘陵上にある安休山利海寺(当時は円福寺)があり、度々の水害により1754年(宝暦4)現在の丘陵上に移転した。村東の田の中にあった白山神社も同様度々水害にあったことが想像される。 ※大森垣外村は1878年(明治11)に東に隣接する牛牧村を合併、新たな大森垣外村となる。 ※愛知県春日井市白山町9-2に、718年(養老2)創建と伝えられる「白山(しらやま)神社」が鎮座している。同白山神社は円福寺の控えで住職が別当(兼務)として職務をあたっていた。神仏習合の名残で明治の神仏分離まで続いていたという。西城白山神社も古くは円福寺の持分とある。宮司:松本健男子氏は小幡白山神社と同じである。 牛牧白山神社参集殿 守山区小幡中3-6(旧牛牧村) ![]() しかし現在同地には社殿・境内など神社を思わせるものはなく集会所として「参集殿」が建つのみ。 地元の人によれば現在ここで宗教的行事は行われていないとの事。管理は近隣の人々で行っており、夏にはこの前で朝のラジオ体操も行われている。 しかし江戸時代の地誌『寛文村々覚書』では上記大森垣外(海道)村の東に隣接する牛牧村の項には「社三ケ所 内 白山 神明 山之神 大森海道村桂星寺持分 社内四反五畝弐拾歩 前々除 外ニ中田壱反歩 白山領 備前検除」とあり、同様の地誌『尾張徇行記』牛牧村の項にも同じ記載がある。近代において当地に白山神社を見ることはないが、古くは牛牧村に「白山神社」があったと思われる。※桂星寺は明治時代に廃寺。 同棟東隣(写真右)には名など解らないが寺(庵)がある。入り口左の地蔵には「当庵三世 春芳代鈴木喜八 安政三丙辰年二月」の銘がある。地元の方によれば近年まで僧侶の方が裏手に住んでおられ葬儀など時に行ったが現在は無住となっているらしい。掃除の行き届いた堂内中央に「薬師如来」左に「弘法大師」右に「観世音菩薩」が祀られており、観世音菩薩は第十九番札所となっているが、どの様な霊場めぐりなのか不明。 ●愛知県神社庁記載の名古屋市内の「白山神社(白山社)」一覧 白山社 名古屋市熱田区木之免町4 白山社 名古屋市昭和区石仏町1-71 白山神社 名古屋市大須一丁目30番47号 白山神社 名古屋市中区丸の内一丁目15番18号 白山神社 名古屋市中区新栄三丁目27番24号 白山社 名古屋市中川区大当郎3-1505 白山社 名古屋市中川区東起町4-96 白山社 名古屋市中川区二女子町4-66 白山社 名古屋市中川区戸田三丁目1501 白山社 名古屋市中村区平池町3-16 白山神社 名古屋市中村区日比津町1-1-25 白山社 名古屋市西区名塚町4-22-1 白山社 名古屋市西区児玉3-19-6 白山神社 名古屋市西区押切町2-5-2 白山社神明社合殿 名古屋市西区東枇杷島町柳場無番地 白山社 名古屋市西区堀越町1-34 白山社 名古屋市西区山田町大字平田字神明4204 白山社 名古屋市東区矢田町2-42-1 参考文献 『愛知懸神社名鑑』平成4年8月 愛知県神社庁発行 『愛知の神社』平成10年9月 吉田和典著 愛知県郷土資料刊行会発行 『東春日井郡誌』大正12年1月 東春日井郡編・発行 『守山市史』昭和38年2月 守山市編・発行 |