▲新池(地蔵池) (八竜緑地 大森八竜地内) 小幡緑地公園一帯の東部丘陵には自然地形の池、砂防ダム、溜め池など多くあり、八竜湿地にある同池は江戸時代の地誌『尾張徇行記』に「釜ヶ須池」とあり、戦後間もない頃同池で入水自殺した方の霊を弔うため池の中の竪樋の上に地蔵様が祀られていることから別名「地蔵池」とも呼ばれる。
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宮司掃部太夫之塚 (市場地内)
寛文村々覚書にある秦江村(現鳥羽見地区)八幡宮(廃寺となった龍雲寺西)が1767年(明和4)の洪水で流失。亡くなった宮司の掃部太夫を祀る塚が中央線西の幸心地区に「祢宜塚」として祀られたと言う。のち移設され市場地区の某氏宅の庭先に祀られ、氏の祖父が1923年(大正12)2月1日現石碑を建立したという。(高さ約120cm) |
▲独立行政法人国立病院機構 東尾張病院(大森北地内) 1950(昭和25)年「日本医療団志段味荘」結核療養所として発足。1969(昭和44)年以降診療科目の変更などあり、2004年(平成16)現行病院となった。心を病む方の治療、精神科救急、司法精神鑑定など入院治療、若年層の精神ケアなど治療の専門病院。 |
▲社会福祉法人恵泉会 しだみ学園(桜坂四)1950年(昭和25)区内東谷山に恵まれない幼児のため民間児童養護施設「恵泉館」として創立、のち入所更生施設「親愛館」通所授産施設「一進舎」など変更合併などを経て知的障害児入所施設となる。 |
▲愛知用水(上志段味地内) 水不足に悩んでいた知多半島(愛知県)では木曽川の水を半島にと長年願っており、1947年(昭和22)大干ばつを機に国に陳情。1955年(昭和30)世界銀行の融資を得て5ヶ年計画にて木曽川牧尾ダムを水源とする大用水工事が始まり、1961年(昭和36)9月30日全長112kmの大工事は完工となり、知多半島は木曽川の水で潤う事となった。写真は東谷山下をトンネルで抜け南下する愛知用水。 |
▲阿弥陀寺 相阿彌十七世家元碑
(西城二地内) 華道相阿彌流は室町時代、足利八代将軍義政の同朋衆の一人。絵画、華道、香道、庭造りと才を発揮した相阿彌真相を祖とし京都等持院より名古屋善導寺に伝わり、明治中頃17代今月庵宗甫の時東京に本拠を移している。明治40年3月相阿彌門人・裏千家門人建立 |
▲国立研究法人産業技術総合研究所中部センター材料分野における国際産業競争力強化を目的とした産学官連携機構※下志段味名古屋サイエンスパーク内。 |
▲社会福祉法人光洋福祉会 障害者支援施設 一粒荘(桜坂四地内) 障害ある方の自立した日常生活支援など障害福祉支援施設。 |
▲区境界の路地(守山区森孝四−名東区延珠町) 画面左(東)が守山区、右(西)が名東区。その境界は南北に230m程続く車一台が徐行してやっと通れる程の細い道。 |
▲弘法堂・秋葉社(右)/天王社(左)(四軒家一地内) 愛知県道215号(出来町通)四軒家交差点西近くの路地の奥に祀られていて、四軒家地区集会所を兼ねる弘法堂と西の広場に秋葉講(右)と天王社(左)が祀られている。現在も地区の秋葉講・津島講・弘法講の人々により運営されている。現在は閉鎖されているが大森三地区にも弘法堂があった。 |
▲行者堂(森孝三地内) 森孝地区では講組織が近年まであり、13〜15歳位の男子は地元の先達につれられ、大峰山(奈良県)に修行に訪れていた。これに参加し認められると少年たちは集落の男子として大人の行事に参加できるようになったという。 |
▲弘法堂(森孝三地内) 森孝八劔神社境内奥東にあり、毎月20日には近隣の方々が集まりご詠歌など詠いお祀りをしている。古くは森孝のコミセンの辺りにあり建設時に同地に移された。 |