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※遺跡位置は「守山区遺跡分布図」の頁に有ります。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() しだみ古墳群ミュージアム「SHIDAMU(しだみゅー)」 ジオラマ:志段味古墳群全体図 2019年(平成31)4月1日オープン 志段味古墳群の「しだみ」と「ミュージアム」から「しだみゅー」と呼ぶ 一階展示室・二階体験活動室 その他、収蔵庫・カフェレストラン・こどもこふん 無料駐車場あり(大規模イベント時は有料300円) 延べ床面積:1,560m2 開館時間:9:00〜17:00 月曜休館 入館料:無料(展示室は200円、中学生以下無料) ※敬老割引、団体割引あり オープンセレモニー 2019年(平成31)3月30日 志段味古墳群キャラクター 右:しだみこちゃん 左:埴輪氏武(はにわうじたける) |
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守山区上志段味地区は庄内川河口より35km程遡った愛知県瀬戸市と接する守山区最北東部。名古屋市最高峰標高198.3mの東谷山の麓一帯、庄内川へ丘陵部が落ちる河岸段丘上にあり、好天の日には東谷山展望台から平坦な濃尾平野が一望でき、野生のニホンリスが生息している。 1992年(平成5)、上志段味特定土地区画整理組合が設立され、道ができ住宅開発が進みかつての田舎的景観は変貌しつつある。また名古屋市では志段味地区開発の動脈とし新交通システム、ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」を2001年(平成13)に開通させ一帯の総合開発に注力している。 東谷山山頂にある尾張戸(おわりべ)神社(祭神−天火明命・天香語山命・建稲種命)は古文書『東谷大明神草創本紀』によれば成務天皇5年秋9月、尾張連宮簀姫命の勧請により創建されたとあり『延喜式神名帳』には尾張国山田郡尾張戸神社と記されている。また『和名抄』には「山田郡志誤」と記され『尾州雑志』には「志田見郷」とある。1184年(嘉永3)に記された『尾張神明帳集説本之訂考』には志談(シダミ)は「下垂水(しだみ)にて尾張山水の垂(したたる)るより地名となれり」と記され、尾張(ヲハリ)国地名発祥の地、そして尾張氏発祥の地の一つではないかと思われる。 古墳時代に入ると上志段味地区の河岸段丘上及び東谷山一帯には多くの古墳か築かれ、四世紀前半古墳時代前期中頃には河岸段丘上に白鳥塚古墳(墳長115m前方後円墳)、東谷山々頂には尾張戸神社古墳(直径27.5m円墳)が築造され、それに続き古墳時代前期後半には多くの埴輪列を出土した南社古墳(直径30m円墳)、中社古墳(墳長63.5m前方後円墳)が築造された。また五世紀後半から六世紀前半には東谷山西に広がる河岸段丘上に志段味大塚古墳(墳長51m帆立貝式古墳)、勝手塚古墳(墳長55m帆立貝式古墳)、西大久手古墳(墳長37m帆立貝式古墳)、大久手5号墳(墳長38m帆立貝式古墳)、東大久手古墳((墳長39m帆立貝式古墳)と墳長30m位の特徴ある帆立貝式古墳が築かれ、六世紀末から七世紀前半には東谷山白鳥古墳(旧白鳥古墳群1号墳。直径17m円墳)が築かれた。またこの頃には羽根古墳、上島古墳、寺山古墳、古墳時代後期には馬捨山古墳、塚本古墳等多くの古墳が造られ、そして時代が下り東谷山西麓群集群が築造された。又それに先立つ遺跡として志段味樹木地区に旧石器時代末のナイフ形石器を出土した樹木遺跡、縄文時代には白鳥遺跡や二ノ輪遺跡があるが弥生時代の遺跡はあまり見られず顕著な活動痕は見られない。 現在国内の古墳の数は文化庁調べで161,560基有る(一般には10万〜20万基位と言われる)。愛知県下には尾張部56基、三河部45基の前方後円(方)墳が有り、50m以下の小古墳が主流の三河部に比べ、尾張部では50m以上の古墳が多くあり、総数として愛知県下には約2,700余基が確認されている。 名古屋市内には201基の古墳があり区内には134基とその半数以上があり、市内の前方後円墳は18基うち区内には11基、上志段味地区に6基が有る。また同地内には66基の古墳があり、上志段味東谷山西麓群集群には34基の古墳が認められるが多くが滅失し全体では50基以上有ったと思われる。 また上志段味地区には古墳時代前期四世紀初めから五世紀前半に一部空白が有るものの古墳時代終末期に至るほぼ全ての時代の古墳、古墳群があり全国的にもまれな地区として注目されている。
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