●区内の白山神社 三社
同神社も守山白山神社(白山社)同様古墳上にある。 ●小幡南島古墳(小幡南島古墳の頁参照) 六世紀初頭、古墳時代後期、直径33m、高さ5mの円墳。 1930~35年(昭和5~10)頃、神社本殿改築に際し墳丘の北側に方形の土盛りをして、社殿の敷地を南北に長く造成したため形状が主軸を北方に向けた前方後円墳のように見える。1960年(昭和35)墳丘西側18mで行われた旧守山プール造成工事に際し、幅20m程の周濠と思われる溝状遺構が確認され、埴輪片・須恵器片が出土した。 「由緒」は境内正面東に前後して二ヵ所にある。 「由緒 その一」碑文 ※境内正面東 手前 152×113cm 石製 原文は全て漢数字
「由緒 その二」碑文 ※境内正面東 奥 150×80cm 鉄板 原文は全て漢数字
守山にある白山神社(白山社)三社の中でその履歴に不思議が多い神社である。 社伝は詳ではないが『新撰姓氏録』によると、欽明天皇の皇子小墾田(おはりだ)王が此の地に居住せられ、王が創建されたものといい、今から約1400年程前(飛鳥時代)の創建という。 由緒「白山神社略記」では、東城(ひがししろ)にあった旧白山神社(村社)、常燈(じょうとう)にあった神明社、北屋敷にあった諏訪社、現在地にあった愛宕社が明治43年7月15日合祀され、愛宕社の現在地に白山神社として祀られたという。 旧村社である白山神社が無格社の愛宕社に合祀され現在地になぜ合祀されたのか、合祀の主体が愛宕社だったのか白山神社だったのか詳細は不明。 ※旧村社白山神社:字東城4562番/現生玉稲荷神社・三菱グランド付近か。 白山神社は元々山岳信仰としての修験道的神社であり、愛宕社同様山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神社であり、『寛文村々覚書』には「白山 ・・・ 当村山伏 大徳院持分」「愛宕 ・・・当村山伏 文殊院持分」とあり当地の山伏の管理下にあったようで、何らかの関係があったのだろうか詳らかではない。 1923年(大正12)出版の『東春日井郡誌』には当神社の御祭神に「菊理媛命」は祀られとおらず、1992年(平成4)出版の『愛知縣神社名鑑』にも伊邪那美命(いざなみのみこと)・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・火具土命(かぐつちのみこと)・大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊受姫命(とようけひめのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)と八柱の神が記されているが「菊理媛命」は祀れていない。 ※大日孁貴命は天照大神の異称といわれている。 御祭神の中に愛宕社縁の神「火具土命」は祀られているが、多くの白山神社で祀られている「菊理媛命」は祀られていない。平成10年6月建てられた「白山神社御由緒」には記されていことから、同神社に「菊理媛命」が祀られるようになったのはつい最近のことであろう。 ※諏訪明神・稲荷明神・白山宮は同神社北西にある小幡城(西城地区)の鎮守と祀られていたという。 小幡城:1522年(大永2)中世当地を治めていた山田氏の末裔、岡田与七郎が築城したと言われている。 ※愛宕社の勧請は1605年(慶長10)といわれ、文殊院の修造であった。1701年(元禄14)10月造営の棟札があり、八幡造りであったが、1760年(宝暦10)修理を加え、1910年(明治43)合併(合祀)により神明造りに改められたとある。(守山市史) ※『蓬州旧勝録』には小幡地区にある中世尾張山田氏縁の古刹「長慶寺」は、1730年(享保15)小幡村愛宕堂の北の島(現小幡白山神社付近)よりこの地へ移転したとあり、現在の白山神社(旧愛宕社)の地は古くからひらけた所であったと推測される。 ※推古天皇と敏達天皇との間に竹田皇子の弟として尾張皇子(尾治王・尾治大王)がいたが、欽明天皇の系図に小墾田王という名は存在しない。また小墾田王が訛り小幡とした地名説も単なる語呂合わせだろうと言われている。しかし古くからこの地に有力氏族が住んでいたことは、この地に多くの古墳がある事から推測できる。 ●愛知県神社庁記載の名古屋市内の「白山神社(白山社)」一覧を「西城白山神」頁の最終に掲載しました。 参考文献 『愛知懸神社名鑑』平成4年8月 愛知県神社庁発行 『愛知の神社』平成10年9月 吉田和典著 愛知県郷土資料刊行会発行 『東春日井郡誌』大正12年1月 東春日井郡編・発行 『守山市史』昭和38年2月 守山市編・発行 |