土岐〜大井(槇ヶ根追分)


この下街道探訪は「下(した)街道(善光寺街道)」頁の拡大版で西の「札の辻」より東の「槇ヶ根追分」までを記載、守山区分は「下(した)街道(善光寺街道)」を参照してください。

下街道は引き続き旧国道19号線に沿いこの辺りより時に旧国道を外れ山村風の集落を過ぎ街道が山間部に近づいた事を知らされる。春日井市付近より大井に至る街道筋には明治13(1880)年6月中山道・下街道を経由し京都に御巡幸された明治天皇の行在所(あんざいしょ)が各所にあり立派な記念碑が建てられている事も見所。

土岐津町秋葉山常夜灯 右旧国道19号線、左下街道、正面に嘉永5(1852)年銘秋葉山常夜灯。下街道は直線的な旧国道19号線に対し細い脇道として所々残っており、生活道路として今も機能を果たしている。細い道には当時の常夜灯や馬頭観音など目にする事も珍しくない。(土岐市土岐津町) 高山町界隈 高山は古くより一帯の中心地で宿場機能を持つ下街道有数の集落であった。寛政6(1794)年には内津外5ヶ村を相手に「高山宿問屋を継場とし世話料など払うように」と問屋の窮状を幕府に訴えた記録なども残されている。戦国時代には高山光俊、平井光行らが城主を務め、天正2(1574)年武田勝頼の東美濃攻略によって落城した高山城跡もある。(土岐市土岐津町) 和合橋東詰役行者像 土岐川に架かる和合橋を渡ると東角に宝暦年間(1751〜1763)銘の二つの石の祠。それに挟まれ天明5(1785)年銘の役行者の石碑がある。※役小角(えんのおづの(ぬ))通称役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ飛鳥〜鎌倉時代実在の人物で修験道の祖と言われているがその人物像はよく判っていない。瑞浪市内中山道細久手宿には江戸時代南蔵院という修験者がおり、市内には七体の行者像がある。(瑞浪市和合町)
田中薬師如来(泥薬師) 武田信玄の影響により当時村人は薬師如来を信奉していたが織田信長の支配下となり神社仏閣が焼き払われとの噂が起こり村人は薬師様を守るため土中に埋めた。その後平穏が訪れると掘り起こし再度お祀りをし、いつしか患部に見合う所に泥を塗り病気の平癒を祈る様になったと言う。(瑞浪市薬師町) 土岐氏一日市場(ひといちば)館跡(美濃源氏発祥の地) 清和天皇を祖とする清和源氏の有力な一族で平安末期から鎌倉時代初頭に土岐光衡が美濃国土岐郡を領しその後美濃国守護職に任じられた。同八幡神社は光衡の曽孫美濃守護職土岐頼貞の館があり、また美濃源氏の一族明智光秀は同所で生まれ二歳の時明智城代光安(岐阜県可児市)に引き取られ成長したと伝えられ、近年同所に胸像が建てられた。(瑞浪市土岐町) 清水弘法堂石仏群 弘法堂脇にある三十三観音仏、年代的には天保年間〜文久年間(1830〜1864)と幕末に奉納された物が多く、そして他に馬頭観音、弥勒尊など線刻文字碑などあり下街道中もっとも見応えある石仏群。(瑞浪市土岐町)
名滝稲荷神社舞台 状態の良い舞台でこの木の質感と素朴な美しさが良い。近くの桜堂地区、桜宮神社には回り舞台付きの本格的舞台も現存。時に旅芸人が招かれたり地元の人々の演劇が上演され農村芸能が盛んであった事を伺い知る事ができる。(瑞浪市土岐町) 芭蕉句碑/村境の馬頭観音 「いさゝらは雪見にころふ處まて はせを」元治元(1864)年4月村中有志花月坊書・賣佛建立。貞享4(1687)年名古屋の書肆風月堂孫助亭での俳諧の席で詠まれた句で句集「花摘」に記されている。
ここよりやや西、街道時代釜戸村と神箆(こうの)村の境に建てらた二体の馬頭観音も有る。(瑞浪市釜戸町)
荻の吊り橋 土岐川に架かるこの小さな吊り橋は地元の古老の話によれば昭和5〜6年頃対岸の集落と学校を結ぶために造られたとか。今では集落付近はゴルフ場となり通う人もなく農道の一部となっている。(瑞浪市釜戸町)

桜の木立場跡 
上切地区で県道を外れ緩やかな坂の上にある鄙びた立場跡。写真坂の上の森には下街道旧櫻之木立場跡碑、常夜灯、寛政2(1790)年銘の馬頭観音などある。地元の話では昔この辺りに変わった桜の木があった事からこの名が付いたと言うが今はないと言う。(瑞浪市釜戸町)
いとう鶴酒造株式会社 造り酒屋は古くはその地の繁栄を支える有力産業としてあり、下街道も含め古い街道筋では今も立派な建物や蔵を見る事ができる。同社も先祖は関ヶ原の合戦を戦った成瀬新左衛門と言い、酒造りは初代源兵衛が文政6(1823)年より始めたと伝わる。(恵那市武並町)
竹折の石幢(せきどう) 寛文10(1670)年奉納、上部には衆生の苦しみを救う六地蔵(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)が浮き彫りにされている(市指定有形文化財)。脇の馬頭観音は宝暦14(1764)年銘。(恵那市竹並町) 下街道槇ヶ根追分手前 槇ヶ根追分け手前、下街道は国道19号線を越え中央自動車道をくぐると追分けまでは600m程。道は林道となりやがては枝を払い竹藪を掻き分け緩い坂を登る林道となる。(恵那市武並町) 下街道槇ヶ根追分 名古屋城下札の辻から13里20町(53km)中山道と合流する。画面奧が中山道、案内板から左手に下るのが下街道。手前には当時茶屋や伊勢神宮遙拝所があった立場となっており大層賑わった所と言う。(恵那市武並町)



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