●守山区を巡る河川
名古屋市内の河川は庄内川水系、天白川水系、日光川水系、山崎川水系、境川水系とその他の独立した河川の6水系に大別され、守山区内の河川は庄内川水系に含まれる。

・一級河川 
 国土保全上又は国民経済上特に重要な水系に係る河川 管理者−国土交通大

・一級河川 
 国土保全上又は国民経済上特に重要な水系に係る河川 管理者−県知事

・二級河川 
 一級水系以外の水系で公共の利害に重要な関係のあるものに係る河川 管理者−県知事

・準用河川 
 一、二級河川以外の河川 管理者−市長

・水路等(普通河川/都市小河川) 
 上記以外の水面および水流で他の法律によって指定されたもの以外 管理者−市、その他

一級河川
河川法では、河川を一級河川と二級河川および準用河川に分類している。国土保全や国民経済上、特別に重要な水系の中で、政令で区間(一級河川に接続する特定の区間を含む)を示して指定された河川。国が管理する。※川の規模には関係しない。

三面護岸(三面張護岸)
護岸と川底の三面がコンクリートで作られた河川改修の方法で、流路や川底が単調なため河川の維持管理が楽となり多くの都市の中小河川に導入された。しかし流れに障害物が無く流速が早く単調となり水深の変化にも乏しく土砂などが堆積しにくい。その為魚の住みかになる淀みがなくなり、魚・貝類の産卵・生育が妨げられる。同様に水辺のヨシ原など植物なども育ちにくく、土地の乾燥化などをまねくなど環境の悪化が懸念され、近年では地域の親水化が推奨され、再度護岸のみの二面護岸に再改修がされる場合も多くみられる。







●庄内川水系 ●庄内川水系矢田川関連

1. 庄 内 川

岐阜県恵那市夕立山(標高727m)を水源とし岐阜県下では土岐川と呼ばれ多くの支流を集め愛知県下へ、名勝玉野渓谷辺りでは玉野川と呼ばれ古来文人墨客の遊ぶ地となっていた。
同川は愛知県下に至るとその大方が旧西春日井郡内を流れ、定光寺辺りでは玉野川、内津川との合流点辺りでは勝川、味鋺付近では味鋺川、矢田川合流点より下流部で庄内川、更に下ると小田井川、枇杷島川、稲葉地川、万端川、一色川などと呼ばれていた。また小田井川と呼ばれた辺りでは小田井人足といわれる言葉を生み、現在のように呼ばれるようになったのはこの、旧春日井郡、瀬戸から名古屋市北東部一帯は中世山田庄(荘)の庄園が広くありその事に起因していると思われ、古くは荘内川と呼ばれていた事もあると言うが明治以降、庄内川に統一されていったと言われる。
玉野渓谷を下った庄内川は春日井市と守山区の境を成し、平野部に出るとゆったりと流れる大河の趣を見せ、多くの小河川を集めほぼ名古屋市の外周を巡り伊勢湾に注ぐ、幹線流路延長約96km(区内流路延長37.43km)、流域面積1,010km2の一級河川。同川は濃尾平野の農業、産業の基幹河川として重要で有り、岐阜県東濃地方は愛知県瀬戸市と並ぶ陶磁器の一大産地であり一時は白濁した排水が流れ込み悲惨な状態にあったが、近年は「矢田・庄内川をきれいにする会」などの活動により少ないながら鮎の遡上も見られる河川となり、伊勢湾に注ぐ河口一帯の藤前干拓はラムサール条約湿地となり野鳥の飛来地として都市近郊の貴重な場所となっている。


写真上左 
荻の吊り橋(岐阜県瑞浪市) 瑞浪市の農村部を流れる土岐川は故郷の川と言った感があり、この小さな吊り橋も地元の古老の話に拠れば対岸の集落と学校を結ぶため昭和5〜6年に架けられ代々補修され使われているとか。しかし今では集落も学校もなく農道として使われている。
写真上中 
中央橋付近(岐阜県土岐市) 土岐川と呼ばれるこの辺り、多治見・土岐・瑞浪・釜戸周辺には多くの陶磁器工場が有り、それらの工場排水により川は白い川となっていたが近年では環境問題への取り組みにより本来の川の姿を取り戻しつつある。
写真上右 
玉野渓谷(愛知県春日井市) 愛知県に入りこの辺りは古くは玉野川と呼ばれた風光明媚な地で名古屋の奥座敷と言われた観光地。この渓谷を過ぎると庄内川は濃尾平野をゆったりと伊勢湾を目指します。前方の三連アーチの城嶺(しろがね)橋は京都三条大橋を模したと言われ明治43(1910)年の初代より数え三代目の橋。写真左手の山上には尾張藩初代藩主徳川義直公の墓所、定光寺(瀬戸市定光寺町)がある。


写真上左 
東谷橋より東を見る 700m程上流で守山区へ入る、写真の橋は愛知用水サイフォン橋
写真上中 
龍泉寺下、吉根西で庄内川はに西・東・西へと大きく蛇行する。
写真上右 
下津尾の渡し跡付近 庄内川吉根地区には同所を始め大日の渡し、野田の渡し、下流には松河戸の渡し、勝川の渡し等多くの渡しがあり、同渡しは昭和40年頃まで実働していた渡し場で現在は下流に砂防堰堤が作られ、たん水しているが当時は徒歩そして仮橋、季節によっては渡船が運行され、龍泉寺の縁日の日には多くの人が利用していたという。(写真右は守山区龍泉寺、左は春日井市 竜泉寺地内)


写真上左 
幸心健康公園 広い河川敷を利用した市民広場。ゴルフ練習場、野球グランド、多目的広場、児童広場と休日等多くの人々が利用し賑わいを見る。(幸心・瀬古地内 ※写真はゴルフ練習場) 
写真上中 
庄内用水頭首工 ここより庄内用水は取水されている。下流(写真右)は水分橋、更に下流へ500m程行けば守山区の最西端そして北区米が瀬町。(瀬古二・川西二地内)※守山点描1/庄内用水元杁樋門守山の近代遺産/庄内用水元杁樋門参照 
写真上右 
勢湾に注ぐ河口部 名古屋港深部にて前方に見える橋は伊勢湾岸自動車道名港西大橋一帯は干潮時には干潟となりラムサール条約湿地となり野鳥観察館などある。(名古屋市港区)


2. 白 鳥 川

東谷山山麓、愛知県立大学守山キャンパス(旧県立看護大学)北の湿地帯のような小さな東谷池を水源とした区内流路延長0.54kmの渓流(水路等(普通河川/都市小河川)、流路延長・流域面積各不明)。白鳥1号墳東を経由し東谷橋やや上流で庄内川に注ぐ。
写真上左 
東谷山よりの水はこの湿地帯に流れ込み小さな池を作っている。(上志段味東谷地内)
写真上中 
清流は谷間を北に流れる。(上志段味東谷地内)
写真上右 
合流部 県道(龍泉寺街道)下で滝状に落下し庄内川と合流する。(前方庄内川・上志段味白鳥地内)

3. 大 矢 川

東谷山麓、東谷山フルーツパーク内神池と石捨池を水源とした区内流路延長1.4km、流域面積0.96km2の渓流(準用河川)。
神池は愛知用水より導水され石捨池は神池よりの水とフルーツパークの浄化された排水、また一部馬舟池の余水を水源としている。
白鳥塚古墳南を通り上志段味山の田集落を抜け大矢橋を潜り東谷橋付近で庄内川に注いでいる。
一帯は鄙びた景観を有し渓流的趣がありゲンジボタルの生息も確認されているが、土地区画整理事業が進展しいつまで現状が保たれるか危惧されている。
写真上左 
石拾池 東谷山フルーツパークの施設に含まれ、釣り池(有料)として開放されている。(上志段味東谷地内)
写真上中 
白鳥塚古墳西すそを通り山の田地区辺りでは自然河川のまま様相を見ることが出来る。(上志段味山の田地内)
写真上右 
山の田集落を過ぎると流れは谷間を抜け東谷橋たもとで庄内川と合流する。(上志段味白鳥地内)

4. 野 添 川

筧(かけひ)池を水源とし上志段味と中志段味の境、野添地区を経由し上志段味天白地内で庄内川に注ぐ区内流路延長1.8km、流域面積6.3km2の一級河川。名称は流路にあたる旧字名か。
流域には大村池、蛭池、大久手池、安田池など溜め池が多くあり、それらから流出する小川、そして上志段味、中志段味の二組合による土地区画整理事業による急速な環境の変化による水質悪化が心配され、自然と治水と環境を損なわない「多自然型川づくり」河川改修(1972年度より)が行われている。

写真上左 
水源池・筧池 堤防で区切られた二つの池からなる農業用ため池、写真奥の余水堰から流れ出している。(上志段味東谷地内)
写真上中 
余水堰、ここから落下した水が野添川の始まり。(上志段味東谷地内)
写真上右 
この辺りの川はまだ自然豊かな状態。(上志段味二之輪付近)
写真下左 
周りの雰囲気にそぐわなくペイントされた野添川人道橋。(平成19(2007)年12月施工・上志段味二之輪付近)
写真下中 
県道(龍泉寺街道)野添橋付近、志段味東小学校付近の改修工事。(上志段味道光地内)
写真下右 
合流部 中志段味天白付近、庄内川堤防に沿い南東に流れやがて守山高校北辺りで庄内川と合流する。(中志段味天白地内)

5. 才 井 戸 流 (さいどながれ)

少し前の農山村のどこにでも有ったような小川。野添川より南西に400〜500m程、志段味地区の丘陵が庄内川に落ち込むわずかな平地の境に有り、志段味丘陵の湧き水を水源とした幅1m、全長数百メートルのせせらぎ。
志段味橋東南のさほど広くない耕地を潤す農業用水として利用されているが湧き水を水源としているためその清流は今では貴重なものとされ、夏にはホタルが飛び交い都市部では既に見られなくなった水生昆虫が住む小川として注目されている。しかし周辺の土地開発により水源の湧き水の枯渇が進み、新しく護岸工事などあり何時までこの流れが保てるか危惧される。(水路等(普通河川/都市小河川)、流路延長・流域面積各不明)

写真 丘陵に沿って湧き水を集めながら小さな流れとなってゆっくり蛇行し西に流れる。
下段:才井戸流れ最上流部の観察池あたり。

6. 唐 曽 川 (からそがわ)

才井戸流の南西数百メートル、中志段味唐曽地区を貫く小さな流れで、地元の人の話では「私らは唐曽溝と呼んどった」と言う程細い流れ。志段味八幡神社辺りの水を集め県道名古屋多治見線(龍泉寺街道)を潜ると数百メートル下り旧巡見道を横切り秋葉神社横辺りで平地に出る。
下流部一帯は古くは庄内川の氾濫原でしたが近世に至り開墾され農地となり同川は畦を巡る農業用水となっていましたが近年は一帯の宅地開発が進みその存在も忘れ去られようとしている。(水路等(普通河川/都市小河川)、流路延長・流域面積各不明)
写真上左 
県道(龍泉寺街道)南東側、志段味八幡神社一帯も宅地化が進み水源は乏しい。(中志段味唐曽)
写真上中 
県道を潜り唐曽地区の雑木林を縫い民家の間を北東に下る。(中志段味唐曽)
写真上右 
東小段橋付近、雨水の流れ込む以外たいした水源もなく干上がっている。(中志段味唐曽)

7. 長 戸 川

中志段味大洞口一帯の小川と守山区と尾張旭市境にまたがる滝の水池(別名海老蔓(えびづる池)を水源とした流れは長戸橋やや上流で合流し、野添川南西約1kmを沿うように下志段味長根・長戸地区を西に流れ下志段味落合で庄内川に注ぐ区内流路延長2.0km、流域面積4.8km2(下流1.2kmが一級河川)の準用河川。名称は野添川同様流路にあたる旧字か。
同川一帯も中志段味、下志段味二組合による土地区画整理事業が行われており環境が大きく代わり、野添川地区同様「多自然型川づくり」河川改修(1972年度より)が行われてる。

写真上左 
滝ノ水池方向よりの川。長戸橋付近で二つの川は合流し西に流れていく。(下志段味穴ケ洞)
写真上中 
自然をたっぷり残した河川改修が行われている。(下志段味字長根)
写真上右 
一帯は住宅開発が進み少しアートな感じの志段味地区サイクリングロードに架かる長戸人道橋。(平成12年竣工・下志段味字長戸)
写真下左 
長戸人道橋付近、端午の節句の頃には近隣の人々により近年鯉のぼり飾られるようになった。(下志段味字長戸付近)
写真下中 
木と石組みを多用した改修は環境に優しく、見た目も癒しを感じさせる。(平成12年竣工・下志段味字長戸)
写真下右 
合流部 東名高速道路を潜るとすぐ庄内川と合流する。(手前が庄内川・下志段味落合)

8. 深 沢 川 ・神 明 用 水

吉根平池辺りを水源とし北へ流れ、深沢一地内吉根神明社東を流れその裏手で庄内川に注ぐ区内流路延長1kmに満たない小河川。
流路途中、寺池・濁池は埋め立てられ一帯は住宅と商業施設が混在する吉根地区の中心地となりコンクリート護岸の都市型小河川となっている。古くは神明社下の岩山に水路トンネルを穿ち庄内川より導水した神明用水が有り、吉根一帯の農地を潤していた。(水路等(普通河川/都市小河川)、流路延長・流域面積各不明)

写真上左 
水源池 平池は自然環境を残しつつ改修され野鳥の飛来する公園となっている、中央手前が取水口。(平池東地内)
写真上中 
取水口より取り入れられた水は県道(龍泉寺街道)を暗渠で潜り住宅街の真ん中を深い掘り割りとなって流れる。(深沢一地内)
写真上右 
合流部 前方が庄内川。(深沢一地内)
写真下左 
神明用水碑 志段味地区に比べ生産性の低かった吉根地区は安定した水を得るため水位の低い庄内川からの導水を計画。その為には神明山(現吉根神明社)に導水トンネルを穿たなければならず、飛騨高山から鉱山職人を招き明治8年11月工事に着手し翌年9月工事完了。二人の村人の発案と資金を自前で調達する難工事であったが見事に完成、吉根の田畑は美田に変わった。記念碑は導水トンネル出口付近にあったが現在は吉根神明社境内に移されている。(深沢一地内) 
写真下右 
神明用水樋管 吉根橋ふもとに2001年6月、一帯の土地再開発に伴い新たに設置された神明用水取水口。(写真左吉根橋−吉根上島地内)

9. 至 来 川 (とうらいがわ)

吉根階子田・太鼓ヶ根の丘陵を水源とし桔梗平一地内(旧至来地区)を西に流れ吉根至来にて庄内川に注ぐ区内流路延長1kmに満たない小河川。
庄内川はやや上流で西から南へと大きく流れを変え龍泉寺下へ流れる。古くは上質な砂利採取場があったが今では廃れ、吉根地区土地区画整理事業と共にコンクリートで固めれれた閉塞的な川となっているが吉根丘陵の水源はかなり山深い。(水路等(普通河川/都市小河川)、流路延長・流域面積各不明)

写真上左 
水路は東へと緑ヶ丘カンツリークラブ北の山中に伸びている。(吉根階子田地内)
写真上中 
区画整理でできた新しい町、桔梗平地内を東へ。前方県道(龍泉寺街道)を暗渠で越し水源の吉根丘陵へと続く。(桔梗平一地内)
写真上右 
至来川排水ひ管所 1994年6月堤防上に設置された山小屋風のかわいい建物。(手前が庄内川−吉根至来地内)

矢田・庄内川をきれいにする会


高度成長期、当時はまだ環境意識が低く矢田・庄内川においても上流部の瀬戸・多治見方面からの陶磁器工場よりの汚濁水、家庭排水、昭和30年代末に始まった春日井市内の工場排水の増加により川は濁り異臭を放っていた。この川の危機的状況に丹羽氏(初代会長)、守山在住の宮田照由氏(現会長・会員数130余名)ら有志は故郷の川の再生を願い昭和49(1974)年同会を設立。
以後河川浄化の啓蒙活動、清掃活動、流域での桜の植樹、「川の汚れは心の汚れ」の看板の設置、「食べられない魚釣り大会」「食べられるかもしれない魚釣り大会」など独自でユニークなイベントを企画し市民参加型の会を運営。やがて時代とともに下水道の完備、河川改修と環境意識も向上、住民・企業・行政と幅広い協力も得られイベントには多くの人々が参加する様になった。これら45年にわたる活動の中で2000年(平成12)第一回「中部未来創造大賞」、2009年(平成21)には第11回「日本水大賞環境大臣賞」、2019年(令和元)第20回「中部未来創造大賞奨励賞」を受賞。現在両川は一部にアユが遡上しアマゴが住むまでに河川環境は改善されたが「安心して食べられる魚釣り」ができるまでに至っておらず、宮田氏は「魚釣りや泳ぎを楽しむことのできた子供の頃の矢田川、庄内川を取り戻すため、引き続き頑張る」と語り「庄内川水系アユ100万匹大作戦」を標榜に活発に活動を続けておられる。