●愛知県春日井市の古墳

左:大留荒子古墳 右:天王山古墳

※同地案内板より
【大留荒子古墳・愛知県春日井市大留町】
直径10m、高さ2.5m余りの円墳。横穴式石室(玄室3m、袖石、羨道2.4m、幅1.5m)。
副葬品は横瓮形頸瓶、堤瓶、高坏、金環(耳環)、直糖、鉄鏃等、棺片、人骨は検出していません。
石室は、庄内川の河原石を用いた乱石積みであり持送り手法で上部をせばめています。
金環(耳環)の数から複数の被葬者が想定され、大留地区集落の有力者の家族墓と考えられる。
昭和63年8月発掘調査、翌平成元年同地に復元移築、移築に際し石室開口部を南へ20度移動、天井石を他から補充。
【天王山古墳・愛知県春日井市大留町】
庄内川右岸を臨む段丘(春日井面)の末端・標高32mに立地する円墳。出土した土器から古墳時代前期(四世紀後半頃)の築造と推定されます。段丘規模は、現況26m、高さ4mですが、発掘調査の結果、本来は直径34m・高さ5mと推定されます。(中略)墳丘斜面には川原石による葺石があり、周囲には幅6mの溝(周溝)を巡らせています。(後略)

志段味地区北西、庄内川を挟んだ愛知県春日井市大留・気噴・神領地区には
高御堂古墳(全長63mの春日井市唯一の前方後方墳)、親王塚古墳(横穴式石室を持つ径14〜15mの円墳)、気噴7号墳(横穴式石室を持つ径12mの円墳)と多くの古墳がある。
この様に横穴式石室構造持つ小型円墳、墳丘葺石に庄内川の川原石を使用しているなど東谷山古墳群と大きな差異はなく、両地区への庄内川が与えた影響は大であると考えられる。
また、国内現存古墳のほとんどはこの様な小型円墳。



●古墳のルーツ
弥生時代の埋葬形式には瓶に亡骸を入れ埋葬した甕棺墓(かめかんぼ)、単独で墳丘に埋められ又多数の瓶が一ヶ所に埋葬された共同墓地風など有り、佐賀県吉野ヶ里遺跡等では大量に出土を見ている。その他方形の周りを溝で囲った方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、出雲地方を中心として日本海側に散見する方墳の四隅がヒトデ風に伸びた四隅突出型墳丘墓も現れた(同墳形古墳を古墳に分類する説もある)。
やがて後に古墳時代と言われる時代に入ると前方後円墳が出現、その墳形は上記四隅突出型墳丘墓の伸展型又は円墳方墳の合体と諸説有りますが、前方後円墳に先んずる円墳・方墳の存在が確認されず今一よく解っておらず様々な意見がある。近年朝鮮半島南西先端、古くは百済と呼ばれた地方栄山江(ヨンサンガン)下流にある六世紀頃の12個の小型・中型(13〜70m)古墳の研究が進み、前方後円墳においては横穴式石室構造を持つなど共通の物も多く、一部石室材料に中国製煉瓦が用いられてい事なども判明。古墳の定説及びルーツについては未だ定説に至っていない。



●前方後円墳の命名
英語で鍵穴形の墓(keyhole‐shaped tumulus)と訳される前方後円墳。この名称は江戸時代後期、栃木県宇都宮の商家出身、蒲生君平が著した『山陵志』による。
同書において「必象宮車而使前方後円為壇三成且環溝 ※必ず宮車をかたちどりて前方後円をならしめ、壇を造る事三成り。且つめぐらすに溝をもってす」と記し、古墳を宮車に見立て円丘部を車輪、方丘部を牛馬が引く枠とし、牛車が引く前方部が方形、それに引かれる後部が円丘、結果前方後円墳と名付けられ今日に至るまでこの呼び名が使われている。その他の意見として、円形部分が方形部分より高く大きいため円形方向より見ると方形部分が隠れ円墳と区別がつかなくなりそのため方形方向より見る、つまり方形方向が前方あろうと言う意見もあるが、これに当てはまらない前方後円墳もあり、現状蒲生君平の名付けたこの呼び名が最良と定着している。
※蒲生君平(1768年/明和5)年生まれ、通称伊三郎。17歳の時祖先が蒲生氏郷の末裔であると聞き蒲生を名乗る。好古家であった彼は江戸を発ち32歳の時京都を出立、古墳(天皇陵)を巡る旅に出、1801年(享和元)『山陵志』を著す。1813年(文化10)46歳にて病死。


古墳造営には多くの日数、労力が必要とされます。
それらを動員できるのが権力者の証でもあり、大阪府堺市の大仙古墳(伝仁徳天皇陵)の築造を建設会社(1985年・大林組)がシュミレーションしましたところ埴輪を除いても延べ680万7000人、15年8カ月の労力を必要とすると算出した。

この大仙古墳は平地に土石を積み上げた物ですが、尾根の一部を切り出し整形する古墳では平地部に土石を積み上げる物に比べ労力は少なくてすむ。


●古墳づくりの工程
古墳には多様な形、大きさ、立地条件が有り、又被葬者、築造者と背後集団との関係など築造方法は古墳の数だけあると思われ一様ではないが、築造の専門集団が係わって造られていたと思われる。
山体を成形して造る場合でなく、平地に基壇部から積み上げ埴輪など持つ竪穴式石室の中期古墳を例にすると・・・

1,比較的平坦な場所を選ぶ 周濠を造る場合掘削時の給排水先などの考慮も必要。
2,周濠掘削と項丘盛土 周濠を掘削する時に項丘下段を成形。周濠掘削土は項丘の中・上段の盛土に充てますが、不足分の盛り土の確保。
3,葦石の確保と石葺き 葺石は裾に大きな石を並べ、それと直交して縦に中位の石。小石をその他の部分に配置。
4,外堤の盛土
5,埴輪の設置 並べる所に埴輪の基底部を埋める位の深さの溝を掘り、そこに埴輪を落とし込み、土を突き固める版築(板築・はんちく)工法により土固定する。埴輪は各段のテラスに一列ずつ、墳頂部、造出し部は縁に沿って一列、外堤の内外に一列ずつ、又は規模により内側だけ一列のみの場合もある。
6,石室構築と埋葬 埋葬がどの段階で行なわれるかは項丘規模により異なり、大型墳の場合、埋葬ルートと墳頂部分以外の葺石、埴輪の設置を終えた後行われ、石棺の蓋が閉められ、石室上部を完成さる。
7,墳体の完成 石室上部の墳頂部方形壇が整えられ、その上に埴輪が設置され、埋葬ルート上に埴輪を設置、周濠との陸橋を切断。資材の撤去、周辺の環境整備などが最終的に行われる。

埴輪を造る場合、粘土、焼成用の薪、完成後の搬出路などを確保する必要が有り、また石室用石材の確保。巨石の搬入には修羅(木製そり)とコロが使われたと思われる。
写真右:大阪府藤井寺市三ツ塚古墳から出土した8.8mの修羅。


●断層鞍部(ケルンコル)と断層突起(ケルンバット)
注)地質・地形用語としてケルンコル・ケルンバットは現在使われなく、断層鞍部、断層突起などが使用されている。

地形に於いて、山体の一部が活断層等により地質的に脆くなり、雨など浸食作用によりできた凹部を断層鞍部(ケルンコル)と呼びしばしば峠道として利用される。一方それにより切り離された独立(分離)丘陵を断層突起(ケルンバット)などと呼び山体より標高は低いが独立しているためしばしば古墳築造に利用され、又後には山城、砦などが造られる事もあった。
この断層突起部に築造される古墳では大型古墳に於いては尾根方向に古墳主軸の制約を受けますが小型古墳では尾根主軸に直行する場合も有りますが、古墳の方向性が一様になる事が多い。
平地に積み上げられる古墳に比べ断層突起部に造られる古墳は盛り土技術ではなく山体の削り出し成形技術が必要とされますが、必要とされる労働力は比較的少なくて済む。


●黄色い破線が断層

奈良県竜王山系麓の分離丘陵上の古墳と周辺古墳
01.西山塚古墳
02.下池下古墳
03.西殿塚古墳
04.東殿塚古墳
05.灯籠山古墳
06.中山大塚古墳
07.黒塚古墳
08.アンド山古墳
09.南アンド山古墳
10.大和天神山古墳
11.行燈山古墳(崇神陵)
12.櫛山古墳
13.上ノ山古墳
14.渋谷向山古墳(景行陵)
15.シウロウ塚古墳



古墳の形状
(イメージイラスト:筆者)

前方後円墳
円丘の一方に方丘を繋げた古墳。大型の物が多く、支配者的人物の墳丘か。
帆立貝式古墳
前方後円墳のバリエ−ション。前方部の長さが後円部の径の4/1以上、2/1未満の物を言う。4/1未満の物を「造出し付き円墳」と言う。
柄鏡式古墳
前方後円墳のバリエーション。くびれ部分の幅と前方部先端部分がほぼ同じ物を言う。前方部は後円部に比べ低い
前方後方墳
方丘の一方に前庭を繋げた古墳で前方後円墳に比べやや小型。
円 墳
円錐形の頂部を切り取った形の古墳。小型の物が多く、群集墳に多く見られる。
方 墳
四角錐の頂部を切り取った形の古墳。弥生時代の墳丘墓との関連が考えられる。
上円下方墳
方形の墳丘の上に円形の墳丘が造られた古墳。
発掘例は少ない。
八角形墳
八角形の墳丘が積み上げられた古墳。古墳時代後期、天皇墓・地方有力首長墓に見られる。
双方中円墳
円墳の両端に方形の突出部が有る古墳。発掘例は少ない。
双方中方墳
方墳の両端に方形の突出部が有る古墳。発掘例は少ない。
双円墳
二つの円墳をつなげた形の古墳。発掘例は少ない
六角形墳
現在発掘例は三例程の珍しい形状で八角形の天皇墳に次ぐ格式ある人物の被葬が考えられる。
四隅突出形墳丘墓
四角形の四隅が外へ延びた形態を持ち、主に日本海側に多く見られ、弥生時代の墳丘墓とする説もある。

石室の構造(埋葬方法)



竪穴式石室(槨)
周囲を石組みの壁で作り、埋葬後上部を天井石で塞ぐ形式。
一人の埋葬を基本とし、前期から中期の大型古墳に多く用いられた形式。

写真右:東之宮古墳の竪穴式石槨と天井石(愛知県犬山市)
全長約70m、幅約47m、古墳時代前期中葉(三世紀後半から末)の前方後方墳
三角縁神獣鏡4面を含む銅鏡11面など多くの遺物を出土した東海地方最古級クラスの古墳



横穴式石室
石室(玄室)より通路(羨道)を通じ墳丘側面に開口部を持つ石室構造。
追葬など複数の埋葬が可能。古墳の大小に関わらず中期以降の古墳の主流をなす形式。

写真右:桜生(さくらばさま)史跡公園内円山古墳(滋賀県野洲市)
直径28m、高約8m、六世紀初頭の円墳
内部には熊本阿蘇凝灰岩を刳り抜いた家形石棺と
奈良大阪県境二上山凝灰岩で作られた組み合わせ式石棺がある。
また盗掘を受けているものの
装飾刀始め多くのガラス玉、鉄器、耳飾り等多数の遺物が出土した。


   他に   

石組み石室を持たず、割竹形木棺などを粘土槨で覆った形式や
石棺を直接埋葬する形式、終末期には横口式石槨などもある。


各部の名称