●『尾張名所図会』に見る守山
『尾張名所圖會』(尾張名所図会)
尾張藩士で国学者の岡田啓(ひらく・文園)と当時名古屋の台所と言われ枇杷島橋の袂(名古屋城下の西方)にあった名門青果問屋の野口家当主野口道直(梅居)とが著し、同じく尾張藩士で絵師の小田切春江や森高雅が挿絵を描いた地誌。
1838~41年(天保9~12)の約三年をかけて執筆され1844年(天保15)に前編が刊行されたが野口家はこれによって財産をほとんど失ったという。このため後編は1880年(明治13)愛知県の手により最終的に全巻が出版された。
 前編:愛智郡(1〜5巻)・知多郡(6巻)・海東郡/海西郡(7巻)
 後篇:中島郡(1・2巻)・春日井郡(3・4巻)・葉栗郡(5巻)・丹羽郡(6巻)
  
岡田啓は『尾張名所図会』の補遺版として『小治田之真清水』(おわりだのましみず)全八巻を編纂。1853年(嘉永6)に前編(4郡五巻)を刊行。後編(4郡三巻)は岡田啓が1860年(万延元)に没したため完成せず、1930年(昭和5)名古屋温古会により出版された。

岡田啓(けい):1780年(安永9)~1860年(万延元)
野口道直:1785年(天明5)~1865年(慶応元)
小田切春江(しゅんこう):1810年(文化7)~1888年(明治21)


※書き下し文は『のーと尾張名所圖會』尾張名所図会を原文で読む会
 ブックショップ「マイタウン」刊 参照
※『尾張名所圖會』より守山区関連の図版のあるページのみ掲載。


大永寺の図
サブタイトルにある「小野道風出生地」
小野道風出生地は大永寺より北東へ、庄内川を越し1.5km程の愛知県春日井市松河戸町にあり、現在は春日井市道風記念館があり、故事にならって柳に飛びつく蛙像などある。
また同地には巨嶽山観音寺(愛知県春日井市松河戸町)があり、同寺は大永寺の末寺である事より、大永寺としてこの様なタイトルが付けられた事が考えられる。

寿昌山大永寺は名古屋市守山区大永寺町にあり、創建は1197年(建久8)山田次郎重忠が死んだ父山田太郎重満の菩提を弔うため小幡地区(守山区)に建てた天台宗寿昌院(寺)を基とし、1584年(天正12)小牧長久手の戦の折りに焼失。その後1617年(元和3)山田氏の末裔岡田将監善同(よしあつ)が名古屋城縄張り奉行を務めたおり尾張初代藩主義直公より現在地を拝領し名古屋城築城の余材をもって諸堂を整えたといわれ小野道風とは直接的関係はない。
※寿昌院の建立は1190年(建久元)説もある。
長母寺の図
  

大森寺の図(だいしんじ)
 

龍泉寺の図
  
  
東谷山尾張戸(おわりべ)神社の図