●常楽院(中志段味の地蔵堂)

地元『志段味の自然と歴史を訪ねて』には、常楽院については地蔵堂と紹介されている。
元々は志段味字可良素地区の某氏宅の近くに地蔵堂としてあり、明治末頃流行り病(赤痢)で大勢の方が亡くなられたおり、志段味地区・水野地区(瀬戸市)の人々により焼き物の千体地蔵を祀ったとある。
志段味地区は現在守山区だが近代まで峠をなしていた龍泉寺の坂を嫌い、庄内川に多くの渡り場を設け隣の春日井市(愛知県)との結びつきが強く、同地蔵堂も愛知県春日井市神領の瑞雲寺が事ある時には出向いている。
※流行り病の隔離小屋(赤痢小屋)は志段味字細川原の旧久岑寺内にあった。
※庄内川の渡し場:平内の渡し・大日の渡し・野田(吉根)の渡し・桜佐の渡し・下津尾の渡し
また『名古屋市守山区志段味地区民俗調査報告書 1985年(昭和60)発行』には地蔵堂は戦後は字西山島の郷倉の西に移設されたとある。
※郷倉:年貢米、祭礼道具、村の帳簿など収めた村の共有の建物。
※字西山島の郷倉は二階建て瓦葺であったが、昭和12・13年には古くなったので取壊したとある。
現在堂内には千体地蔵が祀られていて、堂外の西には観音石像、庚申塔、法華経一千部供養塔、六字名号碑(1783年・天明3年)、大乗妙典六十六部日本廻国供養塔(1851年・嘉永4年)、子安地蔵が祀られていて、地蔵縁日には瑞雲寺の住職がお勤めをしている。
これら現在地蔵堂西一帯に祀られている野仏の一部は吉根・志段味地区の路傍などに祀られていたものを当地に集められたものと考えられる。





●秋葉社(中志段味)
1772年(明和9年)定光寺付近よりここに勧請され、境内の大神宮と大権現銘の燈籠は1823年(文政6年)の古いもの。
2004年(平成16年)土地改良事業によりに現在の西隣の一段低い所から同地に移築された。
境内には西国三十三観音巡礼供養観音像など20基の石像観音像が祀られていて、前列右より三番目の石仏(馬頭観音)の舟形後背前面に「右定光寺 左内(うつ)つ」背面には「明治五申(さる)年十二月」と刻まれていて「定光寺道」と「大日の渡し」へ通ずる地内の路傍に置かれていたと思われる。
※「内つ」とは大日の渡しより北へ3km程の内津川(春日井市坂下町)一帯を示すか、また岐阜県との県境、内津峠(春日井市・北東9km)を示していると思われる。
※三十三観音の年号:一番古いものは、1774年(安永3年)で江戸時代中期後半の物が多く、1855年(安政2年)江戸時代後半まで続き、新しいものでは、1839年(明治22年)とある。

写真上 舟形後背、右:定光寺 左:内つ